きものスタイリスト大久保信子 きもの語り 晴れ着の丸昌 横浜店

黒留袖 いまむかし

連載第四回のテーマは、既婚女性の第一礼装「黒留袖」。
きもののつくりや柄ゆきのこと、今と昔の流行の違いや選び方など、黒留袖に関するさまざまなお話を大久保信子さんにうかがいました。

ミセスの第一礼装、黒留袖

――そもそも黒留袖とは、どのようなきものでしょうか。

結婚式や披露宴で、おもに新郎新婦の母親や仲人夫人が着る、ミセスの第一礼装です。語源には諸説ありますが、結婚を機に振袖の振りを短く切って留めたことから「留袖」と呼ぶようになりました。昔の人は、切った袖を赤ちゃんのきものに仕立て直して、無駄のないように工夫していたようです。

黒留袖にはいろいろと決まりごとがあるのをご存じかしら。まず模様ですが、裾周りにのみ広がっているのが特徴で、これを「江戸褄(えどづま)」ともいいます。紋も必ず入れます。背紋一つ、袖紋と抱き紋がそれぞれ二つの五つ紋と決まっており、最も正式な染め抜き日向紋(ひなたもん)が一般的。実家、または嫁ぎ先のどちらか一方の紋を入れます。黒留袖というくらいですから、きものの地色は黒。そのほとんどが一越(ひとこし)ちりめんという生地で仕立てられています。この生地はしぼが細かく立っていて、表面がさらりとしているのが特徴。

さらにもうひとつ、大きな特徴が「比翼仕立て(ひよくじたて)」です。

――きものの衿に沿って見える、長じゅばんの衿とは異なる白い生地のことですね。

そうです。昔は白羽二重(しろはぶたえ)の下着の上に黒留袖を重ねて着ていましたが、それを簡略化したものが比翼仕立て。衿や袖口、振り、裾にだけ、白羽二重の別布を縫いつけて、重ね着をしているように見せているの。

大久保さんの黒留袖 今と昔

――本日、大久保さんが実際にお召しになっていた黒留袖をお持ちいただきました。

結婚したときに夫の親からいただいた黒留袖と、それから10年後に自分で誂えた黒留袖の二着です。久しぶりに箪笥から出してきたのよ(笑)。では、一着目の黒留袖から見てみましょうか。

若いころ、何度も着た黒留袖。ご自身が結婚して数か月後、親友の結婚式にも着ていった。

――刺繍がとても繊細で、手が込んでいますね。手触りもなめらか!

熨斗目に菊花、孔雀などの模様や、七宝や亀甲といった幾何学文様が道長取りに染められています。雪輪は刺繍で縁取りされていますが……(と言いながら、じっくり刺繍を確認)、糸がまったくほどけていないわ! 当時の職人の高い技術がうかがえますね。

生地が薄くてしなやかなのは、日本の繭からつくった生糸を使っているからではないかしら。一般的に、外国の繭よりも日本の繭のほうが細くて長い糸がとれるといわれ、やわらかくてなめらかな生地ができるんです。

――衿の裏に真っ赤な生地が縫いつけられていますが……。

これは「紅絹(もみ)」ね。ベニバナを使って真っ赤に染めた絹の生地のことで、この生地は婦人病の予防にもいいといわれていました。昭和30年ごろまでは着物の胴裏(どううら)などによく使われていたけれど、最近では見かけなくなりましたね。私の黒留袖は、衿裏と振りに紅絹を縫いつけています。今こうして改めて見ると、紅絹がちらっと見えるのもおしゃれでいいものね。

そうそう、黒留袖の袖口と裾を触ってみて。少しふっくらしているでしょう。このような仕立て方を「ふき綿仕立て」というの。

紅絹とふき綿仕立て

――ふき綿仕立て? 初めて聞きました。

無理もないわね。今では花嫁衣裳や舞台衣裳以外にふき綿仕立てをしたきものを、まったく見かけなくなりました。「ふき」とは、きものの裏地を表に折り返し、ちらりと見えるように仕立てた部分のこと。袖口の汚れや傷みを防いだり、おもりの役割もあります。

「ふき」に綿を入れれば、「ふき綿仕立て」になります。昔は真綿を入れたのよ。贅沢でしょう? 今は黒留袖をふき綿仕立てにしないし、綿が入っていたとしても真綿ではなくせいぜいメリンス(モスリン。羊の毛織物)です。

特に裾をふき綿仕立てにすると、すとんと落ちて着姿が美しく、豪華に見えますし、なによりぷっくりした裾が女性らしくて可愛げがあるでしょう?

ふき綿仕立ては手間がかかるので、今の職人さんはなかなかやりたがらないそうなの。着物って、どれも同じ形に見えるけれど、時代によって仕立て方も少しずつ変わってきているんです。

――二着目の黒留袖は、大久保さんがご自身で選ばれたのでしょうか。

はい、そうです。年齢的に一着目が少し派手に感じてきたので、自分で選んで誂えました。昭和50年代だったかしら。ぐっと落ち着いた印象でしょう? 孔雀や流水、菊花などの模様が、一着目同様、道長取りに染められています。胴裏は白生地の時代になりました。

この黒留袖は擦り切れるほど、何度も何度も袖を通しました。今の時代の家族構成と違って親戚も多く、結婚式や披露宴に出席する機会が多かったですし、仲人も五回ほど務めました。最後に着たのは、姪の結婚式だったかしら。もう30年近く前のことですが(笑)

――頻繁にお召しになると、汚れも気になりそうです。洗い張りには何回も出されたのでしょうか。

いいえ、黒留袖は洗い張りには出しません。脱いだら2日以内に衿、袖口、裾の汚れを拭くなどお手入れしていれば、清潔な状態を保てます。汚れが気になるときは、業者にお手入れに出します。

――大久保さんのように、黒留袖は節目でつくり替えるほうがいいのでしょうか。

「黒留袖は一生に三度つくる」と言われていた時代がありました。一度目は結婚したとき。二度目は50代になって、一度目の黒留袖が少し派手だと感じてきたころに。三度目は70~80代。柄はなるべく小さく、少ないものを選びました。でも、今の時代、二度で十分ではないかしら。黒留袖を着る機会が少ないようなら、誂えずにレンタルを利用するのもよいですね。そのほうが、時代にあった色や柄ゆきのものを着られるでしょう。

黒留袖の選び方とマナー

――大久保さんの黒留袖と現代の黒留袖とでは、印象がだいぶ異なりますね。

昔の黒留袖のほうが総じて柄が小さく、地味でおとなしい印象でした。丸昌さんの黒留袖を見てみるとよくわかりますが、今のものは柄が大きくて位置も高く、とてもカラフル。古典柄であってもブルーやピンクなど、華やかな色遣いのものが主流です。でも、それでいいと思うの。今の女性は実年齢よりも若々しい人が多いでしょう? きものは地味なものを着ると老けて見えることがあるので、華やかなものを着たほうが若さも引き立ちますし、顔色が明るく見えます。

――いっぽうで、母親の黒留袖を着たいという要望もあるようです。

思い出深い一着であったり、母の形見だったり、お嫁入り支度として誂えた黒留袖を持参されて、帯だけレンタルしたいというお客様が、丸昌さんにもいらっしゃるとお聞きいたしました。昔の黒留袖に今の帯をコーディネートするのも素敵だと思います。試しに、私の一着目の黒留袖に丸昌さんの帯を合わせてみましょうか。

グレイッシュで落ち着いた色味の正倉院文様の袋帯を合わせてみました。黒留袖の金色も、帯の金色もキラキラしておらず、控えめな輝きをしています。色のトーンや柄ゆきなど、きものとリンクしているポイントがある帯なら、昔のきものであってもマッチしますね。
古いからと着るのを諦めるのではなく、その家の歴史に思いを馳せ、実際に袖を通すこともきものの楽しみであり、魅力のひとつではないでしょうか。

――ところで、結婚式のときに悩むのが、両家の母親の装いだそうです。

かつては「新郎の母よりも新婦の母の装いを控えめに」と言われていました。こうしたマナーは現在ではさほど気にしない傾向にあるようですが、なにごともバランスが大事。どのような装いで出席するか、両家で事前に打ち合わせができれば理想的ですね。また、お互いの年齢が大きく違う場合は、若いお母様は華やかに、年上のお母様は控えめな色や柄ゆきを選ぶほうがよいでしょう。

きもの豆知識

「正式な場での衿や小物は
白が基本」

黒留袖の下の長襦袢は白の無地を着用します。半衿は白の塩瀬を。帯揚げは白の無地、または金銀をさした綸子やちりめん、絞りなど。帯締めも白地に金銀をあしらったものを選びましょう。戦前までは芯に真綿を入れてふっくらさせた丸ぐけが主流でしたが、今は平組や冠組(ゆるぎぐみ)が一般的です。

筥迫(はこせこ)、懐刀(ふところがたな)、末広など花嫁衣裳の小物類も、すべて白地で統一させます。「礼装には白」と覚えておきましょう。

教えてください! 愛用の一着

先日姉から譲り受けた紫色の江戸小紋で、ところどころに斜めぼかしがあるのがポイント。じつは今日初めて着てみたのですが、わりと似合っているみたい(笑)。歌舞伎座や能楽堂に出かけるときに着ていきたいと思っています。蝶々柄が春らしい名古屋帯は、10年ほど前に京都の小物屋さんで衝動買いしたもの。じつはこれ、絹物ではなく化繊の帯なんです。舞妓さんがお稽古用に使うものだそうです。過去の回をご覧いただいてもわかるように、私は黒の染め帯が大好き。どんな着物にも合わせやすく、汚れも目立ちにくいうえ、きゅっと締まってスリムに見えるんです。

大久保信子さんのきもの語り
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大久保信子さんのご紹介

1976年に某着物雑誌の制作に関わり、日本で初めて「きものスタイリスト」として紹介される。それ以降、ハースト婦人画報社、世界文化社、プレジデント社などの各雑誌、NHK、その他各種テレビ番組、着物取扱い業者のパンフレットなど、着物のスタイリングおよび着付けに幅広く携わる。十数年の日本舞踊の経験や、歌舞伎鑑賞を趣味としており、着物に関する奥行きの深い知識と美学を身につけている。常に、着る人の立場に立って、その人の持っている美しさを最大限に引き出すスタイリングと着付けには定評がある。